プロフィール

こんにちは。

愛着障害克服カウンセラーの円ひかりです。

自分の経験が何かお役に立つかもしれないので、ちょっと長い文章になりますが、私のこれまでのプロフィール、読んでみて下さいね。

祖母に言われた言葉が呪いとなった子供時代

私は3歳の頃、母の病気治療の為、祖母に預けられていた事がありました。

状況は全く覚えていませんが、その時言われた「自分の事は自分でせよ」という言葉が大人になっても私の心の中に居座っていました。

何かあると、きつい口調や恐ろしい表情まで甦る…まさに呪いの言葉となっていました。

外では明るく元気を装いながら家ではほとんど話をしない学生時代

三姉妹の次女として育った私は何かと不器用で母をイラつかせる事が多かったようです。

何かあると「全くお前は…」「どうしようもないね…」と言われていました。

母は感情のコントロールが苦手だったのか、情緒不安定だったのか、同じことをしても時には優しくされたり突然激高したりするため、常に顔色を伺っていました。

自宅では、食卓でよく会社の人の悪口や愚痴を聞かされていたため、私もそう思われるのではないか、と不安や恐怖で何を話して良いかわからず、ほとんど会話をしませんでした。

中学2年生の時、転校先の学校で、特に何をした訳でもありませんでしたが、1カ月間、ほぼ毎日、下駄箱の靴がカッターで切られているということがありました。

いじめられているのを認めたくなかったし「いじめられるなんて恥ずかしい」と思い、誰にも相談できず、お小遣いで靴を買ったり、切られた個所を隠れて縫ったりしてやり過ごしましたが、家族の誰にも気づかれませんでした。

少しでもほめてもらいたくて勉強や部活にも励みましたが、あまり関心は持っていなかったようです。高校は進学校に進学し、学校では明るく元気なキャラクターを演じ、クラス委員や生徒会役員を務めました。

それでも何かを選択するときは、母にどう思われるか…がいつも基準でした。

学校推薦の話もあり、大学進学を考えていましたが、母との言い合いをきっかけに大学進学をあきらめて証券会社に就職することとなりました。

大学に行っていればこんなはずじゃなかった

就職してからも、人に良く思われたい気持ちの強い私は、一生懸命にやらなければ…と肩に力が入りすぎて逆にミスする事が多くありました。

そして何かミスすると「大学に行っていればこんなはずじゃなかった」と自分に言い聞かせ、ミスに向き合わずに自分へ言い訳をしていました。

そんなことが続くと、ストレスからか摂食障害になり、食べては吐くを繰り返していました。

気が付けば指の付け根には吐きダコが出来ていました。

全てを環境のせいだと捉えていた私は、ここにいるから私はダメなんだと思い込み、自分を変えようと一念発起して上京しましたが、ただただ生活の為に働く日々でした。

そんな中、知人に騙されて勝手にカードを使用され、多額の借金を背負う事になってしまいました。

人を見る目のなかった自分、簡単に人を信じてしまった自分、味わったことのない怒りと恐怖。自分で解決しなければと誰にも相談できず、自分を責め続け自殺をしようと包丁を手首に当てた時、「借金まで残して死んでいった」と言っている母の顔が浮かび、悔しさで自殺を思いとどまった。「死ぬのはいつでもできる。もう少し頑張ってからでも遅くない。」と働いて働いて何とか完済。その後、縁あって結婚。二男二女を授かるも、3人に障害があることが分かった。長女は軽度の知的障害、次女はADHDと発達障害、次男は自閉症と重度の知的障害やADHD等。結婚生活の中で徐々にわかってきた夫の酒乱・DV。誰にも相談できずにいたが、どこからか聞きつけた保健センターの看護師さんが、DVの冊子を持って訪ねてきてくれた事があった。心配してきてくれたのに「大丈夫、大丈夫」と、きちんと話を聞くことが出来なかった。自分の事は自分で解決しないといけないと思っていたから。そして母に知られたら「そんな人を選んだお前が悪い」と言われそうで嫌だったから。子どもの為にと頑張る中、子宮がんに罹患。幸い初期だったため部分切除にて緩解。死を意識したことで「このままではいけない。悔いのない生き方をしたい」と自分の為にも子供の為にも悪い環境から抜け出すべく離婚を決意。夫に気付かれないように計画を立て水面下で動く事1年。子どもの進学の時期に合わせ、離婚の話を切り出した。結果、慰謝料なし、養育費なしで協議離婚が成立し13年の結婚生活にに終止符を打ち、子ども達4人と私の5人の生活がスタートした。引越しした夜、家具も十分にないリビングで春から中学生になる長男が言った言葉「ママ、自由だね。」が今でも忘れられない。そんな中、出会ったのが心理カウンセラー野坂玲子さん著「人生を変える言葉・ありがとう」「人生を変える笑顔の作り方」の本だった。本当に人生を変えたいと何度も読み込んだ。お金もない、親も頼れない、でも子供は不幸にしたくない、必死だった。ここから私の人生は、少しづつ好転し始めた。今まで不平不満や愚痴が多く、人に感謝する事はほとんどなかった自分に気付き、まず「ありがとう」と口に出す練習からはじめた。日々の生活に流されてしまうと忘れてしまうので、ありがとうと書いた付箋を家中の目につくところに張りまくった。鏡にうつる疲れた顔の眉間には深く刻まれた縦じわが目立ち、作り笑顔もできない状態だったが、口角を少し上げてみた。人に相談するのが苦手な私は、自らカウンセリングを受けたことはなかったが、障害のある子どもの事で、必然的にスクールカウンセラーさんや市や県の教育センターのカウンセラーさんににお会いしなくてはならない機会があった。そこでは、子供の事だけではなく母親の私にも寄り添ってくれた。たくさんの労いの言葉をいただいたり、時には励ましの言葉もいただいた。自分の思いを言葉にすることで少しずつ心が軽くなって前を向くことが出来るようになり「自分の事は自分でせよ」の呪いが少しずつ解けてきた。全く勉強をしない長男の高校受験をきっかけに、勉強する姿を見せたくて自分も大学進学を決意し、通信教育で以前から興味があった心理学を学び、認定心理士となった。卒業してからは、何かあると思い続けた「大学に行ってたら人生こんなはずじゃなかった」と自分に言い訳する事もなくなった。4年半で卒業したことで自信がつき、心の中で「全くお前は…」と言い続けていた母の姿も小さくなってきた。その後、母子家庭の制度などを活用し専門学校へ進学し、介護福祉士や社会福祉士の国家資格を取得して老人デイサービスの生活相談員として就労。ご本人様はもちろん、ご家族の皆様の心のケアを信条とし相談業務に8年間携わった。全く勉強しなかった長男は小学校の教員となり、知的障害の長女はパラスポーツの陸上を続けながら一般就労した。次女は就労支援B型、次男は生活介護へと支援を受けながらそれぞれの道に進んでいる。現在、小さいながらもマイホームを購入し、「どんな事にも感謝、いつでも笑顔」を信条に子供たちと猫ちゃんと穏やかに過ごしている。世界中に笑顔の花を咲かせたい。悩み苦しみの真っただ中にいる方々に、少しでも元気になってもらえたら…とカウンセラーとして活動中。