プロフィール

こんにちは。

カウンセリングルームRe:write(りらいと)

愛着障害克服カウンセラーの円ひかりです。

自分の経験が何かお役に立つかもしれないので、ちょっと長い文章になりますが、私のこれまでのプロフィール、読んでみて下さいね。

私は3歳の頃、母の病気治療の為、祖母に預けられていた事がありました。

状況は全く覚えていませんが、その時言われた自分の事は自分でせよという言葉が大人になっても私の心の中に居座っていました。

言われた時は、恐ろしくて体が固まってしまったの覚えています。

3歳の子供なりに「なんで、そんなこと言うの?」という反発心も少しありましたが、「言うことを聞かないと何をされるかわからない」と感じるほどの恐怖が上回っていました。

何かあると、きつい口調や恐ろしい表情まで甦る…まさに呪いの言葉となっていました。

三姉妹の次女として育った私は何かと不器用で母をイラつかせる事が多かったようです。

何かあると「全くお前は…」「どうしようもないね…」と言われていました。

そう言われると「うるさいな」という反発心を抱きつつも、「どうせ私は…」と卑下し、次第に心に傷をつけていきました。

母は感情のコントロールが苦手だったのか、情緒不安定だったのか…。

同じことをしても、時には優しくされたり、突然激高したりする事がありました。

同じ空間にいるときは常に顔色を伺っている状況だったので、とても息苦しかったです。

また母は、食事中に会社の人の悪口や愚痴を話題にする事が多くありました。

イライラの矛先がこちらに向きそうで、とても不安で嫌でした。

その為、ほとんど会話をせず、早々に席を立つのが常でした。

中学2年生の時、転校先の学校で、1カ月間ほぼ毎日、下駄箱の靴がカッターで切られているということがありました。

しかし、誰にも相談できずにいました。

いじめられているのを認めたくなかったし、そのことを親に知られたくなかったのです。

私は靴を切られていることを周囲に悟られないように、お小遣いで靴を買ったり、こっそり縫ったりしてやり過ごしました。

結果、家族の誰にも気づかれませんでした。

気付かれないことに少し寂しさもありましたが、少しホっとしていました。

気付かれて「そんなことされるなんて、お前が悪いからだ。どんくさいからだ。」などと言われるはもっと嫌だったのです。

学生時代は、両親に少しでもほめてもらいたくて勉強や部活にも励みました。

でも、あまり関心は持っていなかったようです。

高校は進学校に進学し、学校では明るく元気なキャラクターを演じ、クラス委員や生徒会役員を務めていましたが、自宅ではほとんど話はしませんでした。

それでも何かを選択するときは、母にどう思われるか…がいつも基準でした。

学校推薦の話もあり、大学進学を考えていましたが、母との言い合いをきっかけに大学進学をあきらめて証券会社に就職することとなりました。

ちょうどその頃、我が家では姉が看護学校に就学中でした。

下には妹も控えていたので、金銭的に余裕がないから進学せずに働いてほしいといわれたのです。

でも私は…と言い出しましたが、しどろもどろで話す言葉は途中で遮られました

自分の思い通りに話を勧めたい母は、早口できつい言葉を並べだしたのです。

私は何を言っても受け入れてもらえないんだ」とあきらめの気持ちが強くなりました。

早くその場から逃げ出したい一心で「わかった。就職するよ」となったのです。

就職してからも、人に良く思われたい気持ちの強い私は、一生懸命にやらなければ…と肩に力が入りすぎて逆にミスする事が多くありました。

そして何かミスすると「大学に行っていればこんなはずじゃなかった」と自分に言い訳をし、ミスに向き合う事が出来ませんでした。

そんなことが続くと、ストレスからか摂食障害になり、食べては吐くを繰り返していました。

気が付けば指の付け根には吐きダコが出来ていました。

全てを環境のせいだと捉えていた私は、ここにいるから私はダメなんだと思い込みました。

そして自分を変えようと一念発起して上京しました。

でも現実は、ただただ生活の為に働く日々が待っていたのです。

そんな中、私は知人に騙され、多額の借金を背負う事になってしまいました。

人を見る目がなかった、簡単に人を信じてしまった、そんな自分へのやるせない後悔や、相手に対する味わったことのない怒りと恐怖で体が震えました。

しかし自分の問題は自分で解決しなければと誰にも相談できず途方に暮れていました。

自分を責め続け、もう生きていけないと自殺を考えました。

ところが、包丁を手首に当てた時、「借金まで残して死んでいった」と言っている母の顔が浮かんできたのです。

悔しさで自殺を思いとどまりました。

そこからは「死ぬのはいつでもできる。もう少し頑張ってからでも遅くない」と、働いて働いて働いて、何とか完済する事ができました。

その後、縁あって結婚し、二男二女を授かりましたが、3人に障害があることが分かりました。

長女は軽度の知的障害、次女はADHDと発達障害、次男は自閉症と重度の知的障害やADHD等。

幸いにも身体には問題ありませんでしたが三者三様の障害でした。

夫について結婚生活の中で徐々にわかってきたのは、酒乱だったこととDV気質だった事です。

飲むと暴れて暴力をふるう、物に当たる、という感じで、同居の義母にも手を挙げたことがあるくらいでした。

やはり・・・誰にも相談できずにいました。

どこかで聞きつけた保健センターの看護師さんが、DVの冊子を持って訪ねてきてくれた事がありました。

心配してきてくれたのに「大丈夫です」と、きちんと話を聞くことが出来ませんでした

自分の事は自分で解決しないといけないと思っていたから。

そして母に知られたら「そんな人を選んだお前が悪い」と言われそうで嫌だったから。

それでも飲まない時の夫は良い夫、子どもの為にと何とか頑張っていました。

そんな時、子宮がんに罹患してしまいました。

幸い初期だったため部分切除にて緩解しました。

死を意識したことで「このままではいけない。悔いのない生き方をしたい」と

自分の為にも子供の為にも悪い環境から抜け出そうと離婚を決意しました。

夫に気付かれないように計画を立てて水面下で動く事1年。

子どもの進学の時期に合わせて離婚の話を切り出しました。

結果、慰謝料なし、養育費なしで協議離婚が成立し、子ども達4人と私の5人での生活がスタートしたのです。

引越しした夜、段ボールに囲まれ、家具も十分にないリビングで、春から中学生になる長男が言った言葉「ママ、自由だね。」が今でも忘れられません。

そんな中、出会ったのがある心理カウンセラーさんの「人生を変える言葉・ありがとう」「人生を変える笑顔の作り方」の本でした。

本当に人生を変えたいと何度も読み込みました。

お金もない親も頼れない、でも子供は不幸にしたくない、必死でした。

読み進める中、今まで不平不満や愚痴が多く人に感謝する事はほとんどなかった自分に気付き、まず「ありがとう」と口に出す練習からはじめました

日々の生活に流されてしまうと忘れてしまうので、ありがとうと書いた付箋を家中の目につくところに張りまくりました。

鏡にうつる疲れた顔の眉間には深く刻まれた縦じわが目立っていました。

作り笑顔もできない状態でしたが、口角を少し上げてみました

そこから私の人生は少しづつ好転し始めました。

人に相談するのが苦手な私は、自らカウンセリングを受けたことはありませんでしたが、母子家庭、低所得者ということで市の相談機関に呼ばれることが多々ありました。

また、障害のある子どもの事で、必然的にスクールカウンセラーさんや市や県の教育センターのカウンセラーさんににお会いしなくてはならない機会がありました。

そこでは、子供の事だけではなく母親の私にも寄り添ってくれました

状況の説明などをしているうちに、自身の思いを口にする事もありました。

そこでは、たくさんの労いの言葉をいただいたり、時には励ましの言葉もいただきました。

自分の思いを言葉にすることで、少しずつ心が軽くなって前を向くことが出来るようになり自分の事は自分でせよ」の呪いが少しずつ解けてきたのを感じました。

子育てでは、本当に色々ありましたが、特に転機になったのは、全く勉強をしない長男の高校受験をきっかけに、勉強する姿を見せようと自分も大学進学を決意したことです。

通信教育でしたが、大学に入学し、以前から興味があった心理学を専攻しました。

試験やスクーリング、実験など何とかクリアして4年半で卒業し、認定心理士となりました。

卒業してからは、何かあると思い続けた「大学に行ってたら人生こんなはずじゃなかった」自分に言い訳する事もなくなりました。

家事・育児・仕事に励みながら、大学を4年半で卒業したことで自信がつき心の中で「全くお前は…」と言い続けていた母の姿も小さくなってきました。

その後、母子家庭の制度などを活用して専門学校へ進学しました。

そこで、介護福祉士や社会福祉士の国家資格を取得した事で、老人デイサービスの生活相談員としての就労につながりました。

ご本人様はもちろん、ご家族の皆様の心のケアを信条とし相談業務に8年間携わりました。

今では、全く勉強しなかった長男は小学校の教員となり、知的障害の長女は一般就労をしながらパラスポーツの陸上に励んでいます。

高校時代不登校だった次女は就労支援B型、次男は生活介護へと支援を受けながらそれぞれの道に進んでいます。

現在、小さいながらもマイホームを購入し、「どんな事にも感謝、いつでも笑顔」を信条に子供たちと猫ちゃんと穏やかに過ごしています。

『世界中に笑顔の花を咲かせたい』と心から思っています。

悩み苦しみの真っただ中にいる方々に、少しでも元気になってもらえたら…という思いで私と同じ愛着障害に悩まれている方に寄り添うカウンセラーとして活動しています。

少しでも重い心を軽くするお手伝いをさせていただきたいので、よかったらお試しカウンセリングに来てみて下さいね。